記録屋日記 -Next‐

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自分を変えたひと言


 山口に来て、「新見高校で、軟式野球で、全国制覇しました。」と言っても、こっちではあまりその凄さを分かってもらえないというか、「軟式に全国大会なんかあるの?」とか、「そもそも軟式野球って何?」とか、そういう感じにしか見てもらえないので、最初のほうはちょびっと残念でした。「俺はマネージャーとして…」というふうに紹介したら、「なんだよ、マネージャーかよ…」みたいなふうに見る奴もおって、残念やな、と思っていました。

 大丈夫。今は、わかる人にだけ分かってほしいと思っているし、わかってくれる人もちゃんと見つかっています。

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 自分で、「全国制覇した」と口で軽々しく言うのだけれど、実際には全国制覇なんて、そんなに軽々しく達成できるもんじゃなかった。高校球児としての集大成で迎える3年夏の最後の大会で、3年間の集大成のような最高の試合ができたのも、そこに行きつくまでに計り知れないほどたくさんの悔しさや、苦しみを体験したからこそだった。ほかのどのチームよりも「勝つこと」に執着し、選手は努力を重ねた。マネージャーの俺は「いかにして勝つ確率を上げるか」を研究し続けた。


 高校1年の時、監督だった先生に言われた一言が、俺のその後に大きく影響した。

 「野球というスポーツに100%はありません。ですから、100%試合に勝つ方法はないのです。ただ、勝つ確率を上げることはできます。」


 この言葉を聞き、それまではただ与えられた雑務を黙々とこなすだけのマネージャーだった俺が、自分の「マネージャー」という立場の有用性に気づいた。この「マネージャー」という立場ほど、チームを客観的に見ることができる場所はない。良いことも、悪いことも発見することができる。そうやって俺が見つけていったことが、チームをよりよい方向に導き、ひいては勝つ確率を上げる方法になるのではないか、と考えた。

 ミーティングでは積極的に意見を出すようになり、選手たちもきちんと耳を傾けてくれた。俺が間違っていたり、思い込んでいたことは選手がきちんと指摘してくれた。練習、試合では積極的に声を出し、マネージャーだが選手と一緒に戦う気持ちで、スコアを書きながら声を張り上げた。公式戦では記録員は制服を着たりするが、それもやめて、選手と同じユニフォームにした。


 他校のマネージャーってほとんどが女子生徒で、うちの部員はそれを見るたびに、「女子マネがほしい…」なんて言っていた。うちのマネージャーなんて選手と変わらんやん!みたいな。最初のほう、それでへこむこともあったけど、しかし、俺には俺にしかできないことがあると思って、後半はむしろ、自信を持って臨むようにした。マネージャーとして、「最強の裏方」になってやろうと、本気で思っていた。

 選手が「勝つこと」に対して、どんどんカリスマ的になり、努力を重ねていくのと同時に、俺は自分の仕事にカリスマ性を持ち、やりがいを持った。マネージャーだからと言って妥協しないようにしよう、選手と苦しみを分かち合おう、と思うようにした。冬場は選手に交じってトレーニングをしたし、3年春、地区予選敗退のときは坂道100本ダッシュを友人とやりきった。


 そうした努力を重ねに重ねて、高校3年夏の全国制覇があった。全国制覇については、「運があったんじゃない?」とか言われることがあるが、俺はそれを信じない。部員全員の「実力」で勝ち取った優勝旗だと、いまだに思っている。そして、全国制覇までつねに支えてくれた保護者の方々や、先生方への感謝も、忘れてはいけないことだ。

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 今、大学生になり、あのときの苦労が嘘のように、自由奔放な生活を送る俺だが、たまに高校時代の自分と今の自分を比べて、「今の自分が完ぺきに負けている」と敗北感を味わうことがある。

 過去の自分に負けてはいけない。早く何か、恋人のように、没頭できるものを見つけたい。


 …以上、高校3年間の何となくの気持ちの変遷でした。
  1. 2008/12/16(火) 22:04:05|
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